おふくろの味と最後の晩餐。


中秋の名月も過ぎ去り、いよいよ秋ぽくなってきました。

最近、小芋が美味しくなってきて、炊く機会が多くなりました。この時期、野菜を炊く時、子供の頃食べたカボチャを思い出します。いまでこそ、魚料理ばかりしてますが、実は、生まれは信州の山の中。関西では、冬至に柚子風呂に入るようですが、山国信州では、カボチャを食べます。これは、昔、冬になると、緑黄色野菜がなくなり、ビタミン不足になります。唯一、カボチャは冬まで保存できたので、ビタミン不足にならないように食べたそうです。それと、関係があるのかないのかわからないけど、我が家では、よく、カボチャを食べました。料理屋さんででてくるような上品に炊いたものではなく、甘辛く、ちょっと煮崩れたカボチャです。これが、たまらなく好きだったのを覚えてます。たぶん、私にとっての「おふくろの味」なんでしょう。

この商売を始めて、よくわかったのは、昔、おふくろが作ってくれたものを、今、自分で作っても、おふくろのほうが旨いことです。正確に言うと、「私にとって」美味しいということで、他の誰かが食べ比べたらわからないです。まぁ、当たり前と言えばそれまでのような気がします。だって、その味で育ってきてるわけですから。

みなさんにもそういった絶対的な味はありますか?

味の記憶って、どのくらい正解なんでしょうか。美化されたり、誇張されたりしないのでしょうか。個人的な見解では、美化もすれば、誇張もするだろうし、そこに先入観も入ると思います。しかし、多少味が違っても、食べた瞬間、思い出される記憶や、ふとしたことから思い出される味はあると思います。

話はずれますが、キリストの最後の晩餐という絵があります。そのせいか、よく、「最後の晩餐に何食べたい?」って質問があります。私は、いつも、こう答えます。「何を食べるか選べるのなら、誰と食べるかを選びたい。」と。

「おふくろの味」についてくる記憶は、いつも、家族の思い出。魚を食べた時、酒を呑んだ時、「あの時の飲み会楽しかったなぁ」なんて思い出してもらえるような飲み会をしてもらえるように、頑張っていきたいものです。

思い出を提供できる居酒屋。果てしない挑戦のような気がしてきました。